2005年11月20日

金閣寺平成の茶室〜棟梁 木下孝一氏

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金閣寺平成の茶室を建築された「数寄屋研究所 心傳庵 棟梁 木下孝一氏」の特別講演を聴いてきました。
金閣寺を造営した足利3代将軍・義満公。平成19年に600年を迎える。この節目の時を迎えて,大本山相国寺管長であり、金閣寺・銀閣寺住職の有馬頼底(らいてい)老師は金閣寺の茶室「常足亭」の再建を決意、当代随一の数寄屋建築棟梁・木下孝一氏に依頼し、平成16年、見事に完成しました。
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木下棟梁は現代の日本の建築教育の有り方は明治時代からおかしくなってきた。住宅の寿命が20〜30年で壊れるようなものをなぜ建てるのか、家は最低50年はもつ必要がある。壊したときに害にならないというのも大事。私たちの仕事は自分が死んだ後にもその造ったものが残るのだから死んでも人に迷惑のかけるなということを弟子に教えている。また地震の多い国で大地震が起きて、一番無防備でいる姿が住宅であるのにもかかわらず、自分の家を捨てて避難所へ逃げるというのはそもそもおかしい話。建築基準法というものは最低のもの。釘を使う建築はせず、全て木と木を組み合わせた複雑なほぞと栓で接合している。といった建築への思いと技術に対する誇りと情熱を披露していただきました。

築210年の京都のある有名な茶室を解体してみて、210年前の大工は見た目は良いが、木組みをばらしていくと隠れたところに釘を使用したり、手を抜いているところがよくわかる。私の建築では阪神大震災が来ても茶碗1つこけない造りで、金物というものは木と相性が悪く、いつか朽ちてなくなる。500年、1000年という寿命を目標にするからには、妥協はできない。

木というものは生き物です。ちゃんと山へ行くと私にそろそろ切ってくださいと声をかけてくれます。木を見て触ってみれば、木の切る時期というのが肌でわかります。山守でさえ見逃しているものまでわかります。これを見逃してしまうと腐って倒れてしまいます。

基礎は全て御影石を敷きます。本磨きにすると水を吸ってしまうので、わざとザラザラにします。また木の構造体と基礎石とは緊結しません。屋根は半永久的にもつチタンを使用し、壁の土はやきもので有名な信楽や備前、唐津といった産地の土で燃えにくくします。

最後に新建材や技術について、コンパネなどの合板は接着剤が非常に弱い。水にも熱にも耐久にも弱い。住宅の解体するときにいつもわかります。バラバラにはがれています。高気密高断熱については、健康にとても悪いと思います。

来春から京都の表千家の茶室をする予定で、前の金閣寺茶室より良いものを造ります。技術というものは過去にしたものは全て公開するし、過去のものは既に技術は古い。常に新しいものを追いかけてこそ技術である。と。

略歴
1931年(昭和6年) 石川県生まれ
1947年(昭和22年) 京都で酒井安太郎氏に弟子入り
1954年(昭和29年) 京都・仁和寺の遼廓亭(りょうかくてい)に感銘を受け、平井滋造棟梁に師事
1966年(昭和41年) 数寄屋師として独立
1993年(平成5年) 京都府伝統産業優秀技術者賞を受賞
posted by 袋谷 at 15:44| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 構造 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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