
日経スペシャル「ガイアの夜明け」 2月6日放送 第249回
「家があなたを壊すとき
〜シックハウス・化学物質過敏症と闘う〜」
(2007年2月6日 放送)
建材などから放出される化学物質で体を蝕まれ、自分の家に住めなくなる人がいる。いわゆる「シックハウス症候群」だ。そしてシックハウス症候群になった人の多くが、家の外でも微量の化学物質に反応してしまう「化学物質過敏症」になるといわれている。専門家の調査によると現在、日本には化学物質過敏症だけで70万〜100万人の患者がいるという。
番組ではシックハウスや化学物質過敏症に苦しむ人々の日常生活を取材。このほか、日本古来の知恵を生かした住宅造りや換気をテーマにした住宅など、企業の取り組みも取材する。
【ある日突然シックハウスに】
大阪にあるふくずみアレルギー科の吹角隆之医師のもとに、全国からシックハウス症候群や化学物質過敏症の患者が押し寄せている。名古屋に住む若野桂さん(39歳)も、その1人。若野さんは、板金工場だった場所を4000万円かけて自宅に改造した。シックハウスの知識を持っていた若野さんは、床には無垢材を使い接着剤も使わなかった。しかし、入居したその日から夫婦ともに呼吸が止まりそうになって夜中に眼が覚め、そこからシックハウス症候群、さらには化学物質過敏症とみられる症状に苦しみ始めた。
誰もがある日突然陥るかもしれないシックハウス症候群、そして化学物質過敏症。それは、どのようにして引き起こされるのだろうか。
【住む家がない・・・彷徨う患者たち】
広島県に住んでいた平原年秋さん(58歳)・千加子さん(51歳)夫妻はあるときシックハウス症候群となってしまい、千加子さんは1年間寝たきりの生活をするほどの重症に陥った。150件の民家を見て回った末、有機農業の盛んな島根県の山間部に4年前に移り住んだところ、千加子さんは症状が落ち着き、外出もできるようになった。そして、化学物質過敏症患者のために役に立ちたいと、NPOも立ち上げた。
しかし、昨年夏ごろから異変が生じた。カビに反応しはじめるようになったのだ。やむなく再び家探しに奔走するが、住める家はなかなか見つからない。
一方、相模原の河原で強風に晒されながらビニールシートを敷いて佇むのは大学2年生の杉崎暢子さん(20歳)と母の順子さん(52歳)だ。2人はピクニックに来ているのではない。家にいると呼吸が出来ないほどの症状になるため、やむなく河原で過ごしているのだ。
2人の症状が出始めたのは数年前。近隣の工事で使われた化学物質が家に流れ込んだことが原因とみられ、順子さんは工事当日から胃痙攣などの重い症状が起き、暢子さんは極微量の化学物質に反応するようになった。一方、父の義文さんには2人ほどの症状は出なかった。
義文さんは暢子さんと順子さんの送り迎えや雑用を一手に引き受け、2人のために機械設計士の仕事も一時中断した。同じ家にいて化学物質過敏症になる人間とならない人間がいる場合、家庭内で亀裂が生まれることも多い。かつては杉崎家もそうした状況で、順子さんは誰にも理解されず苦しんだと言う。
一方、暢子さんは教師になりたいという夢を抱いて大学に通っている。しかし、キャンパスには香水やタバコ、そしてインクなどの化学物質が溢れている。暢子さんは夢の実現のために、何とか授業を受けたいと大学側、そして学友たちに訴えかけた。果たして、その結果は・・・。
【シックハウス対策に企業も動く】
国も対策に着手している。厚生労働省は原因となり得る化学物質の基準値を順次定めているが、限界も指摘される。指定されている物質以外にも反応を引き起こすものがあったり、基準値以下でも反応を起こす人がいるのだ。
民間企業も取り組みを積極化している。大和ハウスは電機メーカーと共同で高機能フィルターなどを活用した換気システムを開発。一方、無添加住宅社長の秋田憲司さん(47歳)は健康な生活を送れる住宅を考えるにあたって、日本古来の建築技法を取り入れた。接着剤は手作りの米のりやニカワ、防虫・防カビには柿渋を使うというものだ。シックハウスになりにくい住宅は、実現するだろうか。